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2008年インド・マナリ 続・ロータン峠物語 
~ロータン峠 瞑想2~
 
 私達は、瞑想の前にはいつも最も短く尊いマントラ「オーム(アウン)」を唱える。ロータン峠においても、いつもと同様に目を閉じて「オーム」と3回唱えて・・・とその時、亡き両親の顔がふわ~っと浮かんだ。「あら、パパとママが・・・」と思い、懐かしさで涙があふれた。が、そのまま与えられたテーマについて1時間の瞑想した。その後、しばらくアーサナをしたり休憩をして、また次の瞑想に入るための「オーム」を3回唱えようとすると、また両親の笑顔が浮かんだ。「あれ、またパパとママだ・・・」と思って涙がドーッとあふれた。が、そのまま1時間の瞑想を続けた。その日はテントで一晩過ごし、次の日の朝、また瞑想。「オーム」と唱えた時、また両親の笑顔が・・・。涙が・・・。そこで私は初めて気づいた。「そう言うことだったんだ!」

 私は、24歳の時に母を、その2年半後に父を、共に癌で亡くした。母は48歳、父は54歳だった。2人が同時に入院していた時もあった。仕事と病院と家事に追われ、順に2人を看取り、その数年間は私にとってはあまりにも大き過ぎて、どれくらいの年月の間に起こった出来事だったのか、その頃の自分がどんな気持ちでどんな風に過ごしていたのか、はっきり覚えていない。もっと幼い頃に何らかの理由で親と離れて過ごすしかなかった境遇の人は世の中にいくらでもいることは頭ではわかってはいたが、私は大変甘やかされて育ったため、親離れが全然できていない状態で2人を失い、スピリチュアル的(自己存在に関する部分)に非常に不安定になってしまった(随分後になってからスピリチュアル的健康の大切さを知った)。その後、退職によりそれまで安定していた社会的な部分が不安定になり、阪神大震災に追い打ちをかけられ、糸が切れた風船のようになってしまった。

 当時、周囲には優しい言葉をかけてくれた人がたくさんいて、本当にありがたく思っていた。しかし、心のどこかで、「この気持ちは誰にもわからない」とも思っていた。それでもある日、下関から釜山へいくフェリーの中で(関釜フェリーに乗って韓国の小白山に登ろうとしていた)ある友人が、「マリちゃん(私の事)のパパとママは志し半ばで死んだんと違うねん。今世での目的を果たして死んだからエエねん。」と言った。その言葉を聞いた時、私はとても救われた。そして両親の死を乗り越えたつもりでずっと過ごしてきた。しかし、本当は乗り越えられてないままずっと来てしまっていた。

 ヨーガの教えを学び始めたことによって、我々の肉体も心も実在のものではなく、変化していく非実在ものであり、“アートマ(魂のようなもの)”だけが不変で実在であり、この肉体は、衣を着替えるように、寿命が来ると脱ぎ捨てていかなければならないものである、と頭ではわかっていた。しかし、3度目の瞑想で「オーム」と唱えて両親の笑顔が浮かんだ時、初めて「そう言うことだったのか!」と思った。ものすごく大きな気づきを与えてくれた神様に再び涙がドーッとあふれた。『肉体を離れた“アートマ”が“ブラフマ(すべてを創った神様のような存在)”と一つになるということ=両親の肉体を離れたアートマはブラフマと一つになった(というより、最初から一つだった。)=両親は神様と同じだ』ということを、初めてお腹でしっかりと受けとめた瞬間だった。「もう、これで大丈夫だ」と思った。

 ブラフマは映画のスクリーンのようなもので、スクリーンがあって初めて映画が映される。変わらず存在するスクリーンの上で、次々と映画(我々の人生)が上映されているだけだ。だから、ブラフマは時空を超えて常に全てに偏在している。よく「生きていた時より死んだ後の方がより身近に感じる」という話を耳にするが、本当にその通りで、いつでもどこにでも両親はいる。とっくの昔に受け入れたはずだったのに、実はずっと受け入れられずにいたのだった。

 両親との関係はスピリチュアル(自己存在)な部分に影響し、ここが満たされていなければ、自分の土台が揺らいでしまう。歪んだ土地に立った建物のように、私の心はずっと歪んだまま長い時間を過ごしてきた。何をしてもいつも満たされず、何かが違うと感じ、不安や不満を抱えていた以前の自分が、今でははっきりよく見える。嫌な自分を初めてちゃんと許せた気がした。

 それにしても、1回見せただけでは気づかない私に、2回、3回と、「まだわからんか・・・ほなもう1回見せよか。」と気づくまで何度も何度も見せようとしてくれた神様はなんて慈悲深いのだろう。
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# by chitrankita | 2012-04-08 00:21 | インド修行会
2008年インド・マナリ ロータン峠物語 
~ロータン峠 瞑想1~

このツアーのクライマックスとなるロータン峠。3人ずつジープに分かれて乗り込み、早朝マナリを出発。海抜4000mまでずんずんヒマラヤを登って行く。現地のドライバーの運転は本当に荒く、崖ギリギリのところをビュンビュン飛ばすが、ここに来るまでに『大丈夫!』のソフトがしっかりインストールされていたので恐怖感が全くなかった。神様の「よう来たなぁ。待ってたで。」を感じながらものすごい道を揺られて着いた。

ここでの瞑想で私は大きな気づきをもらった。到着後、まず最初の瞑想をするべく座ったのだが・・・。当時の私は、病から回復し、心も体もスッキリしていたものの、やはり心のベクトルを“そちら側”に向けると、すぐに“しんどいモード”に入ることができていた。そんな中、まず自分の心の状態を見ようと目を閉じたのだが、あれっ?まったく思考が働かない。これまで長い間、何を悩んでいたのか?何が辛かったのか?思い出そうとしても何も思い出せない。すべてが真っ白になって止まってしまった。これはもしや高山病か!?おかしくなったのか!?と思ったが、さっきまで仲間と普通に会話ができていた。しばらくすると、解凍されていくように徐々にまた思考が動き始めたと思う。

帰国後、随分と月日が経ったある日、大先輩に何気なくその話をしたら、その先輩が「それは儀式のようなもので、神様が見せてくれたのでしょうね。」と言った。その一言に「ヨーガとは心素の働きを止滅することである。」(パタンジャリ著『ヨーガ・スートラ』第1章2節)の一節が浮かんだ。過去の記憶も、そこから溢れて来る様々な思いも、すべてが消えてしまったようにシーンと静まりかえっている状態。今思い出そうとしてもあれが数秒のことだったのか、数分のことだったのかもわからないが、もしかしたら、“サマディ”とはあんな感じなのかもしれない。「ここまでせっかく来てくれたから“サマディ”をちょっとだけ見せよか?」と、まるで映画の予告編をチラッと見せてくれたかのような、神様の大サービスだったのかもしれない。
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# by chitrankita | 2012-04-04 09:08 | インド修行会
2008年インド・マナリ 3号車物語
~3号車~
 
 2008年に初めてヨーガ・ニケタン主催の「インド・マナリ修行会」に参加させていただいた。この時のツアーは参加者約50名。バスが3台で、1号車はK先生をはじめ、古株の方々(?)のバスだった・・・という印象がある。年齢で分けられる・・・といううわさも後で聞いた。まだピヨピヨだった私はもちろん3号車で、同年代の方も多く、楽しいバスだった。しかし、楽しいだけではなく非常に濃かった。今思えば、あれは“サットサンガバス”であり、“内観バス”でもあった。
 
当時インド在住だったスタッフのMさんが3号車担当で、バスでの移動中はずっと“神様の話”をして下さっていた。後でわかったのだが、Mさん家族にとってはこのツアーが最後のツアーで、その後すぐに日本に帰国されたのだった。Mさんは、話の途中で何度もインドでの日々を思い出し、涙を流されていた。私はすぐ前に座っていたのに、ティッシュが中々見つからず、お役に立てず申し訳なかった・・・と今でも思っている。Mさんの話を聞きながら、私達もそれぞれ幸福感や切なさ、感謝の気持ちなどが入り混じった涙を流し、そのうち、みんなが順番にマイクを持ち話し始めた。子供の頃からのトラウマを告白する人がいたり、家庭内の問題を告白する人もいた。中々マイクを放さず“アートマ”について語る人もいた。一時マイクの取り合いになった場面もあった。みんなで“ガヤトリーマントラ”を唱え続けたりもした。とにかく濃かった。
 
ヒマラヤにどんどん入っていくに連れて、神様が両手を広げて私達を歓迎している気がして、やはり涙があふれて来た。昔、チェーンメールで回ってきた“神の手(沖縄?の空に現れた大きな雲がまるで神様の大きな手のように見えるというもの)”を思い出した。その瞬間「もう大丈夫だ」と思った。そうすると、心配だった車酔いも、高山病も、下痢も、すべてがクリアーされた。「神様にすべてを任せてしまえばこんなに楽に生きれるんだ」と確信した。神様のことをひたすら考えながらヒマラヤを登って行くとは、本当に素晴らしい時間だった。3号車の仲間にはやはり特別な思いがあり、今でも大切なヨーガ仲間として仲良くさせていただいている。

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# by chitrankita | 2012-04-01 15:55 | インド修行会
  

チトランキータのブログ               平井真理子・・・日本ヨーガ療法学会認定ヨーガ療法士 2002年よりヨーガ指導開始。 ヨーガセラピークラス、マタニティヨーガなど神戸~西宮を中心に活動中。
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